禁酒宣言を友だちにしたくせに(お酒の失敗をしたとかそういうわけではないけれど)
結局、PCの横にアルコールがあるとはいかがなものか。。。。と思いつつ文章をつづります。
※最近はやっと酔っ払うようになりましたが、(以前は全く酔わなかったのです)
悪態はつきません。記憶も割と常にはっきりしています。
今日は塾で3コマ授業をしてきました。
小6私立受験、中1国語、高3英語。
中1以外は今日で最後だったわけですが、なんというか
この子達にいったい私は何か影響を与えることができたのだろうか。と考えてしまいました。
確かに、私は高校受験も大学受験もそれなりに経験してきたし、
一応、「勉強」はしてきたけれど
誰かを直接的にサポートするというのは初めてのことで(妹も姉も一般受験はしていないから余計にその意識は強いような)
難しかったです。こんな簡単に言えることではないけれど率直な感想。
先日ひっそりと湯島天神におまいりにいってきました。
そこでくまさんへの就職お守りと塾の受験生へのお守り鉛筆を。
母が高校受験の際に
「こんなことくらいしかできないから」と言ってくれたお守りを思い出しながら。
両親に不満を抱いたことは少なくないです。
病気になった父との接し方もいまだ解らず仕舞いであるし、母の父に対する態度も、
その反対も、年中している仲たがいも、嫌なところは山ほどあるし、
こうなりたくない夫婦が毎日当たり前のように私の前にはあります。
だけれど、コドモへの愛情というおうか、コドモのためにという思いは昔からひしひしと感じています。
母は昔、といっても10年くらい前まで
とても強くて、いつも私たちは撲られたり、つねられたり、怒鳴られたりしていました。
今もその傷はくっきりと残っています。
今、それは虐待と言われてもおかしくないようなものです。
母がつねった跡は日に焼けて、猫の引っかき傷のようになっています。
それでも、母を嫌いになれないのは母が母であるからと、そういう暴力や暴言と同じくらい、いや、それ以上に私たちに愛情を目に見えるように表現してくれたからだと思っています。
受験を思い出すと涙が出そうになるのはそういう愛情を素直に受け入れられた瞬間を思い出すからかもしれないです。
受かった時に周りを気にせず泣いて頭をなでてくれた母の姿や、よかったねと言ってくれたことばが一緒に、
でも不確かに蘇るからかもしれないです。
嫌な思いも沢山したけれど、この家に生まれてよかったんだなあと思えたりするのはこんなときです。
姉や妹もいてよかった。友だちも、くまさんも、みんな私には必要です。
車が事故で故障して、父のお葬式のために黒く塗り替えるかという話をする。
それがどこか遠い世界の話に聞こえる。1年後生きているか解らない。本当なんだろうか。
毎日の薬をやめてしまったら、生きていけない。本当なんだろうか。
父とそんな話はできない。母ともできない。
でも、生きて欲しいと思っていることは知っていて欲しい。
生まれてきてよかったと思っているということも知っていてほしい。
やはり、酔っ払っているし、悪態ならぬ悪口(あっこう)をたたいているようです。