社会人になってずっと通っている吉祥寺の美容院。
1年くらい前に、大好きなスタイリストさんが
奥さんの実家に帰ってしまうことが決まって
その後にその方の友達がスタイリストでくるからと、
後任の方にやってもらっていたのだけれど
話や雰囲気はとてもいいのに、
髪型が全く意図しない感じになってしまうことが多く
申し訳ないのだけれど、変えてしまった。
新しい美容院では、一から自分の話をしなくてはいけないし、
カラーの好みや癖の話も、また、伝えなくてはいけない。
億劫だったけれど、久しぶりに短く明るくした髪型はとても気に入っている。
最近出会った人が、
かつての自分にすごく似ていて、じっくりと話しているうちに、
そのことに気がついたとき、自分が変わっていたことを知った。
変化を嫌っていたはずなのに、
ひとつのものをひたすらに味わえるはずだったのに、
今、変化を求め、いろんなことをとりあえずやってみて、
違うなと思ったら、心無く切り捨てたりする。
社会人になった影響もあるのだろうし、
過去の自分と決別したいという深層心理も働いているように思う。
今さえよければいいだなんて、思ったことはなかったと思う。
いや、そんな刹那な喜びは忌み嫌うべきだと信じてやまなかった。
それなのに、今簡単に、ひけらかすように、
今がよければいいと思うと言ってしまう。
ほんとうの、先のことなんて誰にも決められなくってたくさんの変数が絡み合っていると、
いやというほど分かってしまった諦めの先に見つけた、
今を生きるたのしみは、成長の証のような気もする。
だから、着たい服を着て
だから、好きな音楽を聴いて
だから、飲みたいお酒を飲んで
だから、好きな人を好きでいようと思う。
選択をする。続ける選択ばかりを惰性でするくらいなら、
選択肢ごと放り投げたい。