ここ1ヶ月で、結婚、妊娠の報告が一気にあった。
それは、とても素晴らしいことだ。
決断を経て幸せそうにはにかむ顔はとても可愛いし、
大きなお腹を見つめる姿はとても美しいと思う。
前の会社の同期は、20人のうち
パパが二人、今年ママになるのが二人。
それ以外に二人が結婚しているから、30%は既婚者で家庭をもっている。
仕事が落ち着くこともないままに、だ。
26,7歳ってほんとうは、「そういう」年齢なんだと
改めて感じては、羨ましいと思いながら、
どこか現実味を持てない感覚に、ふっと目を背けてしまいたくなる。
冷静になって、現状「なぜ、結婚していないのか」
(できないということばを使えないあたりが我ながらぐぬぬとなる)
あれこれ考えてみた。
まず、付き合っている人がいない。
考えたら、ほんとうにいない。考えなくったって、いない。
付き合うということ自体がなんだか最近は想像がつかない…。
誰かに毎日連絡をとるのも、手紙をかくのも、心配をするのも、
ご飯を用意するのも、あるいは、手を繋ぐのも
何もかも、なんだか遠くって、うまくできないに違いない。
ただ、「小綺麗でいたい」だとか
「年を重ねた分、すこしは博識でいたい」だとか
「おもしろそうなことはとりあえずやってみたい」という
前向きな精神、向上心は年々増えているような気がする。
それから、言い訳がましくなってしまうけれど
自分自身が結婚していい人だと思えないのも、正直原因にあるのかもしれない。
普段は平気で「結婚したい!」と言えるけれど
いざ、一緒にいたいと思う相手に、やすやすとこのことばは言えないよな、と思う。
母親を見ていて、そうも思ってしまうし、時折余裕のなくなる自分自身にも、
結婚していい資格などないのではないかと考えてしまうことがある。
結婚、そして親になること自体が不釣り合いで、不適切なように感じている。
家族を新たに作ることは、不幸のスパイラルに巻き込むような気さえする。
「サバサバかっこいいアラサー」にもなれないし、「バリバリキャリアウーマン」の道もない。
「若くて可愛いママ」はほとんど閉ざされているし、「妖艶な妻」にもなれやしない。
着地点は見えないけれど、焦っても仕方がないよな、と呑気に構えていようと思う。
そういうクラスターもきっとある。ないかもしれないけれど、まあ、いいかな。
想像つかないことは、問題なのかな。
みんな想像しようっていうけれど、
想像って、「過去の事象からの推測」であって
時として、邪魔をするくらいの偏見の塊だとも思う。
なんだか僻みっぽく、妬みっぽく書いてしまっているけれど
こういう状態を残しておくのもいいな、とふとお風呂で思って
PCを開き、すらすらと書けた。
きっと同じような状況で、ぽつんとなっている人もいると思うし
虚勢をはっている人もいると思うし
婚活!と本気を出す人もいると思う。
誰かに選んでもらえて、誰かの幸せをとなりで本気で願えて
笑いあえて、知らないことをたくさん知ることができるのは、
ゼミの先生がおっしゃっていたとおり
「人生を豊かにする」に違いない。
その、実りを味わうことなく、人生の幕を閉じるのは
すこし寂しいと思うし、やっぱり触れてみたいなとも思う。
無理かもしれないけれど。
判断はいつも正確だとは限らないし
意見が不変なことなんてほとんどない。
だから、その時感じたことや考えたことには従おう。
想像に邪魔されないように。